トレンドnavitrend navi
己の限界を超えて挑戦を続けるアスリートたちの姿は、人々に感銘を与える。そうした、アスリートを企業が雇用することには、どのような可能性が期待されるのか。引退後の雇用(セカンドキャリア)から、競技と仕事を並行して行う現役雇用(デュアルキャリア)へ──アスリート雇用の関係者が集い、2019年1月30日にマイナビアスリートキャリア主催による「アスリート雇用に関するシンポジウム」が開催された。
アスリートのキャリアとしてこれまで一般的だったのは、現役引退後に企業に入社するセカンドキャリアだった。しかし昨今は、現役のまま、競技と仕事を両立させるデュアルキャリアのケースが増えている。
『マイナビアスリートキャリア』は、競技を続けながら就業を希望するアスリートや、競技を引退したアスリートと企業・団体を結ぶ新たな職業紹介サービスとして、2018年12月26日よりスタートした。今回の「アスリート雇用に関するシンポジウム」の第1部は、元阪神タイガース投手で現在は公認会計士であり、一般社団法人アスリートデュアルキャリア推進機構の代表理事である奥村武博さんが、「アスリートの企業貢献力とその可能性」について講演。続く第2部では、企業に所属する現役および引退したアスリート4人が、第3部では雇用する側である企業が、それぞれ「アスリート雇用についての期待と効果・雇用までの課題」をテーマにしたパネルディスカッションを行った。
商業高校卒業後、ドラフト6位で阪神タイガースに投手として入団した奥村武博さんは、ケガのために4年で退団した。自身の経験から、「アスリートが生涯輝き続け、人生を豊かに過ごせる社会を実現する」ために立ち上げたのが、アスリートデュアルキャリア推進機構だ。
奥村さんは、アスリートのキャリア形成を妨げる問題点として、周囲も選手自身もとらわれている「スポーツしかやってきていないし、それしかできない」との先入観を挙げる。しかし実のところ、アスリートの思考はビジネスのファイナンス思考に非常に似通っているのだという。
「正解のない世界で目標達成のためにトライ&エラーを繰り返し、自分を成長させるという、アスリートが日々実行するプロセスは、企業が利益を最大化させるための活動と共通しています」(奥村さん)
アスリートは社会人基礎力といわれる「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」をスポーツを通して身に付けている。また、目標を設定し、そこに向けて活動し、課題を見いだして改善するというPDCAサイクルを通して、メンタルコントロールやタイムマネジメント、データ活用、危機管理等も得意だ。いずれも、ビジネスパーソンに求められる能力ではないだろうか?
以上の事実から、奥村さんはアスリートを「多様性に富んだ、潜在能力の高い資産」と位置付ける。アスリートデュアルキャリア推進機構は、戦力としてアスリートを有効活用したい企業と、キャリアを求めるアスリートとをつなぐハブの役割を担っていくという。期待は大きい。
第2部では、企業に所属する4人の女性アスリートたちが登壇した。マイナビの田岡なつみさんはサーフィン、オトバンクの須河沙央理さんは陸上の現役選手。オフィス921の渡邉由香さんは元セパタクロー日本代表、第一生命保険の勝又美咲さんは女子陸上競技部のOGだ。MCにはフィギュアスケートでカルガリーオリンピックに出場したスポーツコメンテーター、八木沼純子さんを迎え、パネルディスカッションが始まった。
現役選手たちは、競技と仕事をどのような時間割で両立させているのだろうか。田岡さんは月曜から水曜まで3日間出社し、木曜から日曜をトレーニングにあてながら、年間20試合をこなす。マラソンランナーである須河さんは、月曜から金曜まで、6時間の勤務に就いている。練習は朝と夕方以降、そして土曜日曜だ。八木沼さんが、職場環境について尋ねる。
「自由な社風で、『満員電車禁止令』をはじめ社員に負担をかけない働き方が徹底されています。同僚が私の影響で走り始めたと聞くと、モチベーションが上がります」(須河さん)
「サーフィンは自然相手なので、いついい波が来るかわからない。そういうときに出社日を替えてくれる等、アスリートへの理解が深くてありがたいです」(田岡さん)
一方、一線を退いた2人のアスリートのうち、渡邉さんは事務所内の総務・経理全般を、勝又さんは社員の健康管理を行っている。お二人とも業務の中で、スポーツをしていたからこその強みを感じる場面があるという。
「オリンピックに出たいという明確な目標を掲げ、それをどう達成するのか考えて実行する過程は、仕事も同じです。レース前はいつも、42.195kmをどう走るか、どこで仕掛けるかの戦術を立てるのですが、仕事でも『ここからが勝負所』など、全体像を踏まえて行動できます」(勝又さん)
「マイナーな競技ながら、2005年から2010年まで毎年アジア大会に出場しました。セパタクローの選手はハングリー精神が強いといわれています。世界で戦う気持ちは誰にも負けない。そのメンタルの強さと、周囲を見て自分にできることを判断する力は、チーム戦を通して身に付いたものではないかと思います」(渡邉さん)
日本セパタクロー協会の仕事も兼任する渡邉さんは、海外遠征の多さから就職が難しく、アルバイトをしながら練習する後輩と話す機会が多い。選手にとって、安定した給与があるというのは、かけがえのない安心感なのだ。勝又さんも、自身が正社員として何不自由のない環境で競技に打ち込めたことを感謝している。
八木沼さんは、競技引退後に飛び込んだスポーツキャスターの現場で、働くことのすべてを学んだ。自身ではわからない適性に、仕事が気付かせてくれた面が多々あるという。
「アスリートは本来チャレンジする人間なので、いろいろなことに興味があるのだと思います。会社が、彼らが知らない場所を見せてくださったら、可能性も広がるのではないでしょうか」(八木沼さん)
「それはわかります。私は実業団ではほぼ陸上しかしておらず、ビジネススキルのないままに退社したときは怖かった。もっと業務に携わっていたらと思いました」(勝又さん)
「私はまんべんなく仕事をさせてもらっていたおかげで、一線を退いて練習をしなくなったときに、それまでの仕事から広げていってスムーズに移行できました。最初の会社というのは後々のキャリアの基礎となるので、アスリートでもビジネス経験を積ませていただけるのはありがたいですね」(渡邉さん)
現役のお二人の目標は、日の丸をつけて世界の大会に臨むことだ。競技以外の仕事についてはどうだろう。
「営業をやってみたいです。負けず嫌いなので、設定された目標を最後までやり通すのが向いているかなと。それ以外に、社内でサーフィンのクラブを作れたら楽しいと思っています」(田岡さん)
「陸上指導者に興味があったのですが、選手として活動する中で向いていないとわかりました。でも、精神的なメンターにはなりたい。ケガや心が折れそうなとき、アドバイスできる存在になれたらいいですね。私も参加した社内のランニングイベントが好評だったので、次は自分で企画して会社を盛り上げていきたいです」(須河さん)
世界で互角に戦う経験を持つ人材は、企業にとっても得難いはずだ。アスリートのビジネスにおける潜在能力を、最大限に引き出すことが望まれる。
第3部は、「雇用する側」のパネルディスカッション。オフィス921の國井隆代表取締役と、オトバンクの久保田裕也代表取締役社長を迎え、MCを務めるのは第2部に続き八木沼純子さん。
國井さんは、マイナースポーツ界では普及も強化もアスリート自身がやらなければならない状況を見て、「アスリート社員」を作った。久保田さんは、須河さんから「競技を再開したいが将来のことを考えると仕事もしたい」と相談を受け、「うちなら理想的な働き方をしてもらえるのでは」と、まずは半年のトライアルから採用を決めた。アスリートたちの、限られた時間に発揮する集中力やチームにおける協調性は、結果として他の社員にも良い影響を与えたとお二人は言う。第2部では、アスリートたちが「ビジネススキルを上げる機会が欲しい」と話していたが、両社はアスリートを採用した当初、どのような取り組みをしたのだろうか。
「彼女は、指導者に言われるままで、自分で主張する習慣がなかったので、『何も指示しない』ことから始めました。走れとも言わない。『大会でこういう結果を出したいので、練習時間はこうなります。ついてはこのスタイルで働きたい』と自分から発信して周囲に協力を求めさせるようにしました。おかげさまで今では、好き放題にしています(笑)。発信して共有して進める、ビジネスの基本ですね。でもこれは、アスリートに限らず、新卒社員でも同じです」(久保田さん)
「新卒社員と同じ研修を受けてもらいました。ExcelやWord等、基本的なビジネススキルはアスリートだけでなく、新人も意外に苦手なので(笑)。先程も、最初に勤めた会社で覚えたことが基礎になるというお話がありましたが、アスリートにとっての1社目であるという意識を持って、いっしょに仕事をしています」(國井さん)
アスリートたちには試合がある。会場からは、年間100日近く不在にする彼らの働き方について質問があった。
「有給休暇は他の社員よりも多いですが、その分、賞与額でバランスをとっています。一般社員とのあいだで公平感を保つ制度設計は不可欠ですね。また、100日休むと確かに戦力にはなりにくい。トレーニング期間と考え、大会が終わったら貢献してね、と話しています」(國井さん)
「うちはエンジニアが多く、リモートで働くシステムが整っているので、遠征先から空き時間に仕事をすることが可能です。國井さんが制度設計とおっしゃいましたが、競技と仕事を両立できるかどうか、企業カルチャーとのすり合わせも必須だと考えます」(久保田さん)
お二人とも、アスリートの結果にはこだわっていない。1位を取れるのは1人しかいないのだ。それよりも、アスリートの努力を間近で見ることが周囲を感動させ、士気を上げる。一人の社員として壁にぶつかったときはサポートしつつ、安心して競技もできる、先々も生きていける環境を作っていきたいと願っている。
アスリート、雇用する側、おのおのの生の声を聞く機会となった今回のシンポジウム。最後は八木沼さんが、「潜在的な力を持つアスリートたちの採用を、考えていただくきっかけになれば幸いです」と締めくくった。